日本人のいない学校
1万5000人もの学生がいる大学で日本人は自分が一人でした。後に沖縄のから男性一人、 女性一人が入学したことを知りましたが、学部が違うため殆ど出会うことがなかったのです。
後に教会の牧師さんから沖縄の人がいるので会って見ないかという話があり教会が主催した留学生パーテイで紹介され、 9ヶ月目だと思いますが日本語で話ができました。 日本語で対話ができた喜びで、胸のつかえがすべて解消されスッーとした気分になったことを鮮明に記憶しています。
当時私が受けていた英語のクラスでは、マレーシヤ、インド、台湾、フィリッピン、アフリカ、中近東などからの留学生が 殆どで、すべてツタナイ英語での会話であり、日本語が話せない苦しみからくる言葉では表せないストレスが毎日自分を襲い 気持ちを何処でどのように落ち着かせたらいいものかと考える日々が続きました。
当時は日本からの米国への留学は格段に難しく、誰れもが自由に渡航を許されない時代でした。 そのため町で日本人を見つけるのはアメリカの軍人と結婚して生活をしている人のみであり、 ましてや、小さい町だったので限られた日本人しかいません。
当時、そこで親切で仲良くして下さった家庭(奥さんが日本人)があり、週末には時々日本料理をご馳走になり 日本語で長い時間お話をするのを楽しみにしていました。