夏休みの旅と仕事

留学最後の夏休みを利用して、カンサス州からオレゴン州(カリフォルニヤの隣)まで、 当時で60ドル(フォードの1950年代)の車を買い一人旅行をしました。 しかし、(悲喜こもごも)な長旅となりました。

カンサスとオレゴンの距離は約4500キロあり、10日間ほどかかったと思います。 何せぼろ車であり、ガスは良く食うは、オイルはじゃんじゃん漏れるは、道中タイヤはパンクするはで、 さんざんな思いでオレゴンに着きました。 持っていた300ドル余りの大金(当時は)も殆ど使い果たして車を乗り捨て、安いモーテルに一泊して、 翌日からカンサスをでる前に決めてあったOregon Lumber Company(オレゴン州の木材工場)での仕事につきました。

当地では日本人の家族を紹介してもらい一部屋を借りることができ、そこからその会社へ歩いての通勤となったのです。 幸いにも歩いて15分程度の距離にある会社でした。 仕事はキノコの回収作業で、鍬のようなもので、機械で削られるキノコを袋に詰めて外に運び出す作業で、 いつも縁の下で中腰になり、機械から粉雪のごとく降りそそぐキノコをマスクやめがねもかけずにかき集めるのが仕事でした。

中腰で床の下で作業のため、すぐ腰が痛くなったり、腕がだるくなり、疲労が頂点に達することがしばしばありました。 そのため、時々腕を休めていたのですが、ある日、その現場をforman(班長)に見つかり、ひどく注意されたものです。 弁解や理由、説明の通じないアメリカ社会であったと記憶しています。 当時の時給は75セントで7時間の実働で5ドル25セント(日本円で1900円足らず)でした。

7月の第3週目のある日、とても暑い日のことですが、辛抱しきれなくなって仕事中に地面にどかっと腰を下ろして休んだところ、 またその班長に見つかり、その場で即座にfire(首)を宣告されてしまいました。 それでも6週間余りの仕事で173ドル余り(6万2千円)を稼ぎ出し、その一週間後にカリフォルニヤの サンフランシスコに移動して、China town(中国人の町)で一晩5ドルの小さなホテルで2泊しました。その後 バスでカンサス州に向け出発しました。

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